「放浪の画家」山下清について、先日朝日新聞が掲載してましたね。

 障害者らによる美術表現を意味することが多い「アール・ブリュット」。

山下清は小学校では言語障害をからかわれたりもしており、軽い知的障害があったようで。
彼の作品は日本人なら一度は見たことがあると思いますが、紙をちぎって風景画などを描く、いわゆる「貼り絵」ですが、この「アール・ブリュット」の範疇で語られることはなく、美術作品として昔から流通もしておりブームになっております。
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朝日新聞の文化・文芸欄によると、最近アール・ブリュットについての著書『アウトサイダー・アート入門』(幻冬舎新書)を上梓した美術評論家の椹木野衣氏によると、「岡本太郎やアンディ・ウォーホールらのアートのあり方を先取りしている」とか、「多くの視点を盛り込んだ構図や鮮やかな色彩は、デビット・ホックニーらと並べて論じたほうがいい」というようなことを発言してるよう名内容です。

山下清については、大衆画家というイメージしか私にもありませんし、さほど詳しくないのですが、そのような解釈が仮にあったとして、歴史は後の時代の人間が作るといわれるように、権威ある評論家や美術界が強引に山下をそのような位置づけにもって聞くことは不可能ではないでしょう。
本人が望むと望まざるとに関わらず。

今、山下の作品がマーケットでどのくらいの価格で取引されているのか分かりませんが、マーケットで流通するということはそのように商品のブランディングが必要になるわけですし、否定しません。

しかし、この朝日の記事の最後に締めくくっている、「西洋近代を中心とする美術の世界では、日本を含む非西欧圏そのものが実はアウトサイダーです。それを我々は忘れないほうがいい。」という椹木氏の言葉には、深い意味があるように感じられます。


いったい、アートとは生き方そのものなのか?

それとも単なる商品なのか?

なにがアートは人を引き付けてしまうのか?
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